由緒


1.外川神社の総本社である山形県の仙人堂(外川仙人大権現、外川神社)は、出羽三山の一山である羽黒山の麓にあった。知る人ぞ知る存在の仙人堂だったが、出羽三山信仰とともに、信仰が広がっていった。その結果、関東南部の各地に仙人堂の分霊を勧請した。その一社が本社である。本社は、江戸時代中期ごろ初代の山伏が全国を行脚し、仙人堂から分霊を勧請し、現在の地にまつった。そのことにより、草鞋の形をした絵馬を奉納すれば、虫封じの願いが叶い、子どもたちの足が強くなると信じられてきた。はじめ外川仙人大権現と称したが、明治時代の神仏分離令により、日本武尊と大山祇命を祭神と定め、社名を外川神社と改めた。小児の虫封じや家内安全、航海安全、足が丈夫になるという御神徳があるとして、講が作られ遠近から参詣する者が絶えなかった。


2.先祖が源頼政の家臣であり、頼政の首を家臣3人で結縁寺の頼政塚に奉納した。また、昔、この土地で不作の年があり、そのときに近くの戸神川にたくさんの鮭があがり、鮭を食べて飢えをしのいだことに感謝して外川神社では、それ以来鮭を食べないようにしている。などの言い伝えがある。


3.神崎川は印旛沼や利根川とつながっていたことから、船に乗って銚子から参拝に来ていたとされていて、その人たちによって貝殻で作った竜が奉納された。さらに、本殿に続く階段の入り口には、明治27年に建立された神塔がある。その神塔には、戸川神社と記されているが、これは、富山の薬売りの人たちによって奉納されたもので、誤って戸川になってしまった。


4.外川神社の旧拝殿は昭和43年5月に再建され、平成20年4月11日漏電による火災により全焼し、平成22年7月に再建され今の拝殿となった。


御神徳

虫封じ・家内安全・航海安全 

また本殿には、わらじの絵馬が奉納されていることから、足が丈夫になるとも言われている。